匂いにまつわる記憶
#FFFFFF やっつめ。
今回は匂いにまつわる記憶について。
匂い、実はあまり嗅いでないのです。
もともと嗅覚が鈍感というのもありますし、近しい人に香りつきの柔軟剤や香水を使う人がいなくて。
(私が香水を買い始めたのはここ3年くらい)
記憶を結構遡った時、ああ、そういえばあの匂いは好きだった、というものがようやく思い浮かんだので、それについて書いていきますね。
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学生の頃、学校が保有している地方の建物で毎年合宿がありました。
数日間施設内にこもり、専門課程の課題をこなすという趣旨のものでした。
新入生から最上級生までないまぜになって同じ課題をこなし、最終日には学年関係なく順位づけされます。
“ついてこれる奴だけついてくればいい”という、生徒達をふるいにかけるものでもありました。
(出来なくてもペナルティはないですけどね。その後の先生からの心証はあまり良くないです)
私は自分の実力不足を分かって入学していて。その時は意地でも達成したかった目標があって無理矢理食らいついていましたが、辛くて辛くて仕方がなかったです。
いつもは目を背けている、色々なものをまざまざと突きつけられる合宿でした。
睡眠時間を仮眠する程度に削っても、埋められない実力差。
自分の小手先の努力と技術では通用しない、他人の圧倒的な才能。
死ぬ気で努力していたか?と言われれば、きっとまだやれたのかもしれないけれど、経済格差に責任を転嫁させて「私は自分で学費をどうにかしなくてはいけないから仕方がない」と無理矢理自分を納得させてしまった取り返しのつかなさとやるせなさ。
実力不足を改めて認識させられ、逃げられない閉じられた空間に押し込められる。けれども非日常の高揚感もほんのひと匙感じてる。
どうしようもなくなって、朝、気分転換に建物のエントランスに出ると、周囲は靄と木々が囲まれ、明るいけど静かな空気に満たされていて。
思わず深呼吸した時に感じた匂いが記憶に色濃く刻まれています。
いわゆる“匂い”というものは殆どなかったです。
ほんの少しの澄んだ湿り気と、緑が静かに呼吸している。あの独特の無に近い、けれどいつもとは確実に違う匂い。
元々身体が強くはなかったのに、この頃無理を続けていたのが祟って、それから間もなく身体を壊しました。志した道に就くことは諦めざるを得なかったけれど、あの頃、やれることには食らいついて、その時出せる全力でやれたから「私の今の限界はここなのかもしれない」と一旦は受け入れられたのだと思っています。
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合宿所のある地方は内緒です。
情勢が良い方に向かったら、今度は観光で行きたいと思ってます。
少し湿っぽくなってしまいましたが、
これが私の匂いにまつわる記憶です。
それではまた、次回の記事で。